創業ログ ~第二章(前編)~

マイニングベース創業直前期(前編)~


マイニングベースを創業する前はロッキングホースで代表森部社長の補佐として

ベンチャー企業の営業支援、新規事業支援、大手企業とのマッチングなどを行なっておりました。


その時、出会ったのが同年代で当時PWC(プライスウォーターハウスクーパー)にいたKさんと出会いました。

Kさんは現在はPWCにいるが、中国の弁護士事務所の日本窓口を行なっているMさんと

仮想通貨マイニングで独立するとのこと。


当時私自身、仮想通貨マイニングとはなんぞやという状況でした。


マイニングをざっくり話すと、

自分のパソコンを使って仮想通貨の決済作業を手伝えば仮想通貨が得られ、日本円に交換すると、

新しくマイニング用のパソコンを買ったとしても投資回収は3ヶ月で出来てしまい、

そのあとはめちゃめちゃ儲かるというものでした。


私も最初は半信半疑でしたが実際にマイニングマシンの稼働をみたときに

これはすごいインフラが出来上がろうとしていると感じました。


仮想通貨自体には興味があまりなかったのですが、

・元々ものづくりは好きだったこと

・当時、仮想通貨及びブロックチェーンの根幹システムの大部分がPOWで、マイニングの必要があったこと

・仮想通貨及びブロックチェーンの将来性

に惹かれマイニングにはまっていき、私もその一員として一部手伝い始めました。


当時、F2プールというGPUマイニングで業界トップクラスのシェアを誇っていた

中国のマイナーからマシンを購入し日本で販売するところからスタート。


だが、営業を少し始めた頃に、まさか私を誘ったKが突然マイニング事業からやめる事になりました。理由はMさんとの金銭トラブル。

私はマイニングが好きだった事もあり不安を抱えつつもMさんと事業を続行。

私はお客さんを開拓し1千万近くの売上を持って行くことができましたがここで問題が発生。


元々仕入れ予定のF2から仕入れるのは危ないとMさんから共有が合ったため、

同じくMさん経由でマイニングマシンを製造できる別の中国の企業に発注する事に。

いざ仕入れたマイニングマシンが届いて北海道の大規模データセンターに納品したのですが、

20台弱納品したうちの7割程が故障して起動しない or 起動してもマイニングシステムが正常に走らないという結末。


私のほうでマイニングマシンを一部製造、販売もしていたので直そうとしましたが、

・Windowsが中国語でさらに海賊版→言語変更の為のアップデート&インストールはできない

・マザーボード及びGPUの出力を切られIPログインのみ。

・中国で設定していたときにIPを固定したままになっていたのがいくつかあったため、
 ネットワーク設定のトラブルなのかハードウェアトラブル及びソフトウェアトラブルかわからない。

・マザーボードは中国の全然知らないメーカーで情報が皆無

・GPU(RX 570 )はノンブランドでどこが作ったんですか状態

・マイニングシステムもどんな設定しているか不明

・中国語の為キーボードの配置すら違い、まともに入力ができない

とめちゃめちゃな状態でまともに壊れたパーツの検証すらできない状況。


あまりにも悲惨な状態の為、納品のとき直すことは出来ず、

一旦一部のパーツやストレージを持って東京へ戻りました。

お客さんに申し訳ない気持ち、中国の仕入先への苛立ち、自分の知識不足に対する悔しさからで新千歳空港で男泣きしました。


続く。。。